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長楽寺について

大藤山の由緒

大藤山長楽寺は、和銅6年(713年)、慈心上人の開基と伝えられ、はじめは真言密教の道場として栄えましたが、現在の本尊である延命子安地蔵尊が人皇八十代高倉天皇の勅命によって当山に安置されてから、女人安産の札所、また歴代の勅願所として、広く信仰されるようになりました。長楽寺と呼ばないで一般に「谷の地蔵さん」と呼ばれたのもそのためで、谷というのは、長楽寺をふくめたダンベ池の北一帯の地を呼んだ地名です。

その後天正6年(1578年)の兵火により、伽藍全部を消失しましたが、本尊だけは難をのがれて、寛文(1661-72年)のはじめ、專空念教法師が常行念仏堂を建立するまで助永村で上の屋敷、下の屋敷と転々とされました。念教法師はその後宝永三年(1706年)に至って漸く現在の長楽寺を再興、爾来浄土宗西山禅林寺派に属して今日に至りました。

大藤山の由緒
長楽寺の本尊 木造延命子安地蔵菩薩半跏像

大正7年4月8日国宝に指定せられ、ついで、文化財保護法第115条の規定により昭和25年8月15日付けをもって、重要文化財(彫第1245号)に指定された。

地蔵菩薩はお釈迦様の没後から弥勒菩薩の成道までの無仏時代にあって、衆生済度のためこの世に出て来られた菩薩です。仏に代わって、どんな衆生も救わずにはおかない、若し重苦あらば、われ代わってその苦を受けよう、たとい1人でも苦しむ衆生がある限り、私は仏にならぬと誓いをたてられた菩薩です。そのためにはどんなところへでも行かれ、どんな姿にでも身を変え、苦しむ衆生のためにはどんなことでもなされる。いろいろな名前があるのもそのためで、長楽寺の地蔵様は「延命子安地蔵菩薩」と申し上げます。

長楽寺のお地蔵様はお姿がお美しく、また、珍しいことでも世に知られています。「仏説延命地蔵菩薩経」には地蔵菩薩がはじめて大地から出現せられた時のお姿が次のように書かれています。

「その時大地、六種に震動して延命菩薩地より出現し給う。右膝を曲立して、臂を立て、掌に耳を承け、左の膝を申べ下し、手に錫杖を持ち給う。」長楽寺のお地蔵様はこの通りのお姿です。

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長楽寺の本尊 木造延命子安地蔵菩薩半跏像

像高71.1cm

子安地蔵尊略縁起

人皇八十代高倉天皇の中宮建礼門院(平相国清盛公の御女)は治承2年10月27日よりお産の気がつかれ、大変に御難産であったので諸所の神社仏閣に安産の祈願をなさったがその験がなかった。

祈りから丹波老の坂の地蔵尊は女人安産の霊験あらたかであることを聞こし召し直ちに勅使を立てて参籠祈願あらせられたところ不思議やその夜より中宮の御脳は次第にうすらぎ、7日満ずる夜の明け方、いとも安らかに玉のような皇子を挙げ給うた。これ即ち第81代安徳天皇である。天皇はお喜びの余り、清盛に命じて同体の地蔵尊六十六体を刻みて、日本66州、1国に1体を安置せしめられた。中でも当寺安置の地蔵菩薩と、東海道に名高き関の地蔵菩薩とは、一刀三礼の至誠を捧げ、かの老の坂の地蔵尊と同体分身として歴代の勅願所と仰がれた。

長楽寺にまつわる伝説「蛇が池の鐘」

大藤山の裏に「蛇が池」という池がある。昔は一町歩ばかりの池があったが、いまでは山崩れのため埋まって小さくなっているが、いかな干天でも水が絶えず、水面にさびが浮いている。

この池には長楽寺の古いつり鐘が沈んでいるといわれ、池の主である大蛇がしっかりと抱いているから、見ることもできないし、掘り出すこともできない。昔から干ばつののときには「鐘掘り」といって、この鐘の竜頭をあらわすと、かならず雨が降るといい伝えられている。「鐘掘りに出かけるときはかならず蓑傘の用意をして行かぬと帰りは大雨のため帰れなくなる」と言われたものである。

この鐘のことについては天正年間(1579年)羽柴秀吉が神吉城を攻めているとき、羽島勢めがけて1本のかぶら矢が北方から飛んで来た。矢には「谷」と銘が入っていて、調べてみると北のかた4キロへだてた谷の長楽寺から射こまれたものであるということがわかった。

長楽寺にまつわる伝説「蛇が池の鐘」

「余程の剛の者長楽寺にあり」と長楽寺に討手をさしむけられたことはいうまでもない。剛の者というのは長楽寺の住持で、今はこれまでと、本尊とつり鐘を背負って、寺の焼けるのをあとに大藤山を超えて北に逃げ、釣り鐘はこの池に沈め、自分は本尊を抱いて、いずれともなく姿を隠したのだと伝えられている。

大師道散策

「四国八十八ケ所」の道標にしたがって鐘撞堂から西南にたどれば、杉木立に沿って、苔むした石仏が並んでいる。真新しい前掛けが、何やら、なまめかしく感じる。一番 阿波国、霊山寺……と、かすかに判読できる。進むにつれて、静かな、深山のおもむきが、深まり、鳥のさえずりを聞きながら、お大師さんに導かれ、極楽浄土への旅とも思わせる。椿の落花を踏みしめて行けば、かすかに、小川のせせらぎも聞こえ、詩情も湧きいでて、文学の小道ともいえる大師道である。

この「四国八十八ケ所」は、明治43年にできたもので、道を開き、石仏を寄進するということは、当時としては大事業だったと思われる。また、広く播州一円から信仰を集めていたことがわかる。

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アクセス

バスでお越しの方
JR宝殿駅より神姫バス、西牧行き、バス停「長楽園」下車徒歩15〜20分

お車でお越しの場合
加古川バイパス加古川西ランプより北約15分。
山陽自動車道加古川北ランプより南約15分。
ともに「投松」交差点を西へ「原」の交差点を北へ
突き当たり「乗馬クラブ」を西(左折)へ
池、墓地などを抜け、市営のグランドが左手にあります。その前の道が二股に分かれています。右へ上ってください。さらに坂を上ってください。坂の途中に駐車場があります 姫路方面(県道65号線)からお越しの際は、「原」の交差点を北へ

もしわかりにくい場合は、お電話下さい。

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「宝殿駅」から「長楽園」までのバスは、ほぼ1時間に1本です。
詳しい時刻表は神姫バスのサイトをごらん下さい。

神姫バス時刻表
行きは「宝殿駅北口」西牧行き、帰りは「長楽園」で検索してください。

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